グローバル教育と英語

はじめに

この記事を書こうと思ったのは、「グローバル教育って何ですか?」「子どもに英語はいつからやらせましたか?」とよく聞かれるようになったからです。


僕は、英語を仕事で使う場面も多いですが、単に言葉が話せるだけでは“世界とつながる”とは思っていません。むしろ、親として子どもに何を見せるか、どんな姿勢で接するかのほうがずっと大事だと感じています。

そしてその気づきは、「英語教育」の話だけでなく、「毎日の送り迎え」という一見普通の育児の中から生まれてきたのです。


英語が話せる“だけ”では、グローバルじゃない。

最近、幼稚園の送り迎えをしていると、ママさんたちから「パパなのに珍しいですね〜」とよく言われます。

でも、僕にとってはむしろ「なぜ、やらないの?」という感覚のほうが強い。

子どもを育てるのは、父親も母親も同じだと思うし、特に小さい頃の「日常」にこそ、親の価値観や姿勢が映るものです。


なぜ“スクールバス”ではなく、自分で送迎するのか?

まず僕は「スクールバス」に乗せることを否定しているわけではありません。

ただ、送迎という時間は、子どもとの何気ない会話の時間であり、親子にとっての“朝の儀式”でもあったりします。

それに、自宅からバスの停留所まで距離があるため、「それなら車で直接送った方がいい」という考えに自然と落ち着いた部分もあります。

でも本質的には、僕にとって「教育とは学校に任せるもの」ではなく、「親も一緒に学ぶもの」だと思っているからです。

園に着いた際には、他のクラスの園児や担任の先生方とも挨拶を交わします。

ニコニコと笑顔で、知らない子にも「おはよう」と声をかけることもあります(笑)。

全ての子にではないですが、僕の送迎を知っている子どもたちが手を振ってくれることもありますし、僕も向こうの顔を覚えていたりします。

先生方とも「おはようございます」と自然に挨拶をします。

こういった日々のやり取りは、教育やビジネスに直接関係ないかもしれません。

でも、“人と関わる力”や“空気を感じ取る力”は、こういう日常の中で育まれるものだと思います。

時には、こちらが挨拶しても返ってこないこともありますが、それでもいいんです。

「自分は挨拶したのに相手が返さない」という“見返り”を求めるような感覚で日常を送っていると、ストレスが溜まってしまいますよね(笑)。

実際、僕が珍しいと言われるのは、単に“送り迎えしているパパ”だからではありません。

去年からずっと僕の姿を見てきたママさんたちです。

僕が未熟児クラスで一緒に歌ったり踊ったりしていたこと、行事でも積極的に前に出ていたこと、そして他のママさんたちと立ち話をする姿を、自然と見てくれていたようなんです。

別に「やろう!」と意識したわけじゃなく、僕にとっては“自然なこと”だったんですが、結果として、それが「珍しい」と言われる存在になったのかもしれません。


英語が話せても、感覚がなければ伝わらない

よく「グローバル人材とは何か?」という話になりますが、僕の答えはシンプルです。

「英語が話せる=グローバル」ではないということ。

国や文化、宗教観や価値観の違いは、言葉以上に大きな隔たりを生むこともあります。

例えば、イスラム教の文化圏(パキスタンやインド、バングラデシュなど)では、ビジネスのやり取りの中に“祈り”や“神への言及”が出てくることは当たり前。

ヒンドゥー教の影響が強い地域では、考え方の前提からまったく異なります。

同じ英語を話していても、感情表現のトーンや距離感、表現の含意など、文化によって大きく変わる。

だから僕は、「翻訳」ではなく「理解」が大切だと感じています。


福岡からでも世界とつながる

僕は今、福岡に住んでいます。でも、福岡を選んだのは「福岡と関わりたいから」ではなく、「福岡にいながら世界と関わりたい」から。

実際、僕の仕事は場所に縛られません。どこに住んでいても世界中と仕事ができます。

だからこそ、東京や海外なども候補にしながら、最終的に「自分にとってストレスの少ない場所」として福岡を選びました。

理由はシンプルです。

人間関係に“見返り”が強く求められる環境は、自分の個性を消してしまう。

九州は「共有意識」が強い文化ですが、それが悪いというよりも、自分の性格に合っているかを見極めることが大事だと思っています。

福岡は紹介文化も強いけど、その濃さと距離感のバランスがちょうど良かったんです。


じゃあ、僕たちに何ができる?

たとえば「英語を学ばせる」ことは大事かもしれませんが、それ以上に、


・英語で何を話すのか

・なぜそれを伝えたいのか

・世界のどんな文化があるのか


そうした“問い”を考える時間の方が大切です。

スクールバスに任せるだけではなく、子どもと一緒に歩く時間や話す時間を持つこと。

勉強させる前に、親自身が“学び続ける姿勢”を見せること。

そして、日々の生活の中で「世界の感覚」に触れさせること。

それが、これからの時代に必要な教育のスタート地点なんじゃないかと思います。


最後に・・・

「答えを教えるより、問いの立て方を教える。」

これは、僕が親としてずっと意識していることです。

英語よりも「共感力」、正解よりも「感覚」、効率よりも「対話」

そして何より、親が“行動で見せること”。

それが、僕の思う“グローバル教育”の第一歩です。

0コメント

  • 1000 / 1000