ナンパしてた話
東京に初めて生活をした時のことを今日は書いてみたいと思います。
この話は僕自身に勇気と自信を持たせてくれた原点の話(16年前)ですので今現在のお話ではありませんので先に申し上げておきます。
ご存知の通り、僕は大分県大分市出身で両親も親戚もほとんどが大分県内に住んでいまして、東京には親戚等は一切いません!友人もいない状態の中で東京生活が始まりました。当時はインターネットはありましたが検索エンジン(Yahoo!やGoogle等)を使って探す・調べるという辞書代わりに利用をしていた方が多いので、現代のようにAmazon、Netflix、Twitter、Instagram等「当たり前」のサービスは存在はしていませんでした(存在していても海外のごく少数が利用していた程度だったと思います)出会い系サイト(アダルト)が問題になっていた頃で、ネットを使って出会うというのはご法度のような雰囲気があったその当時ですので、顔の知らない人とコミュニケーションをとるというのは、いかに難しいか?の時代でありました(ネットで求人を募集しているサイトもない時代です)
そんな時代の中に僕は東京で1人暮らしを始めていました。最初は渋谷の町が楽しくて、毎日のように田園都市線(三軒茶屋に住んでいました)に乗って渋谷駅で降り、交差点から道玄坂周辺を歩いて渋谷のノイズを楽しんでいました。巨大TVからの音、歩く人の服装や会話!全てが新鮮。お昼に松屋(牛丼屋)で食事する際も隣の人が話す会話を聞いていて「東京の人ってどんな会話するんだろう」なんてワクワクしながら食事をしながらも人間観察をしていたコトを思い出しました。
楽しむのは全然いいと思うのですが、東京に来てから1人ぼっちで地元の友人等にメールを送って話しても、僕は遠くにいる訳ですので、会うことはできない訳ですのでメールの回数も会話も減少しました。当時のメールは会話を楽しむというよりも用件的な会話ばかりで雑談は少なかった気がします。でも東京は賑やかな場所ばかりですので孤独という感覚は一切なく寂しさはありませんでしたね!
東京でも友達欲しいな
ある時、フッと思ったんです!友達(仲間)を作るのであれば皆さんは趣味・仕事などのサークル活動や交流会等に参加するという考えに至ると思いますが、僕は違いました!「東京は人が星の数ほどいる訳だから、友達を探すなら相手を選びたい」という考えに至りナンパを始めることにしました笑
・親戚も友人もいない訳なので全員が他人
・渋谷で変な髪型をしている人がいても変人扱いではなく「個性」として見られてる。
・暑苦しい男性と友達になるより女性の方がいい
・なんで東京に遠慮や気遣いしないといけないんだ?
・ネットは顔が分からないがナンパは顔を見ながら話ができるので打ち解けやすい
僕の頭の中には単純な動機しか浮かび上がらずに今現在の僕とは違い「何も知らないバカ」というレベルに近かったので上記のような動機がキッカケで行動をするようになったのでしょう。
まずは「お茶」できる人を探すことを目的としました!ハードルを低くすることで成功の確率も上がり、いきなりデートなんていう大きな目標なんていうのは誰が考えても無理なので、小さい勝率を狙うことにしました。
実際に行動したのは渋谷駅にある井の頭線の通路でナンパを開始!話を聞いてくれないのは当たり前で想定内でしたが「バカ!」とか言われたりして・・・1日目で凹みましたね(涙)初日はバカも含めて30人前後声をかけて終了。その日の夜はバカと言った子の顔が頭から離れずに悔しさと悲しさの両方が混ざっていましたが「ここは東京!女は無限にいる!!」という根拠のない理屈を自分に言い聞かせて自分に勇気と行動を意識付けさせてたことを思い出します。
2日目から結果
2日目早々から結果がでました!確率は1/60で僕は1/200を予想していたので、お茶を承諾した女性に喜ぶのではなくて自身の確率に驚いてしまい(^^; お茶OKをしてくれた子のコトを考えるよりも成功した喜びの方が強くて、お茶をしたのはいいんですが(汗)早く次のナンパ(確率を上げるため)をしたかったので話半分聞いてサヨナラをしたコトを覚えています。
失敗から学ぶ
当時の僕は成功事例が1件だけだったので(2日目)失敗した時の女性の態度や発言を思い出しました。いわゆる失敗から学ぶわけで、何となく最初のトークの反応(特に目)次第で、早々に引くか?突っ込むか?という部分が大切と分かり、目を合わせない見ない人に対しては殆ど可能性がないので、粘らずに次を探していったんですね。
色々とやりながら実際には半年ぐらい続けたのでしょうか。最終的な確率は1/45ぐらいの確率で、半年後には携帯電話のメモリーには結構な人数の子の電話番号が入っていました(笑)
ナンパといえばマイナスなイメージというのは十分に承知。このBLOGを見ている人が女性であれば呆れたりムッとなったりする人もいるでしょう!ただの笑い話や自慢話であれば記事にはせずに永遠に心の中に封印をしていました。
目的(軸)は過去・現在においても常にもつようにしており、その軸は絶対にブレません。過去を見れば、ナンパを例に出せば軸(友達を作ること)はブレていませんでしたが、軸の周りはブレまくっていましたけど(ナンパという行為・行動)目的は達成されて大勢の女性と友人になるコトができ目標は達成されました。
「恥ずかしい!」「常識的にどうなの?」このような考えもあるでしょうけども、どんなカタチであれ動かなければ自分自身は成長しませんし目的(目標)は達成できません。当時の僕はおバカだった部分もあるので失敗を体に染み込ませて学習するというやり方をしていたので、楽しかった思い出よりも断られる日々であったんですが、結果的には半年後には大勢の仲間ができていた訳で、知らない土地(東京)に対して先入観をもたずに自身の個性として体当たりしたことは今でも振り返る度に勇気をもらったりしています。
年齢を積み重ねれば経験が邪魔をして動かなくなるコトが多く、何かの確証や保証がなければ行動できなくなったりするものです。今はネットで何でも情報が引き出せるので世界の方々の体験や経験が記載された記事を多く見ることができます。ただその反面、自分自身がどのように進んでいけばいいのか?日本人が特に意識している共有・共存精神。自分自身に確信がもてない限り動かないのであれば、僕からすれば時間のムダにしかならず、人間の人生は無限ではなくて有限ですので明日には死が待っているかも知れないので、日々自分自身の感覚で全力で動くのが人間そのものの本能じゃないかなぁと思います。
過去に僕がナンパしていたコトは自慢できることでも褒められることではありませんが「本能のまま」に動き、失敗も多くしましたが失敗をバネに学習して同じ失敗を繰り返さないようにしたお陰で確率は減り結果的に目標達成をしてハッピーになった訳で!傷ついてもそれを引き換えに確率を下げた訳なので傷つくことは無駄じゃなかったんですね。
「ネット情報」「誰かの後押し」「形式」に依存し過ぎて動けない人は多くいると思いますが、僕は常に上記のようなアナログな過去を思い出して常にゼロベースで自分自身の責任において仕事・生活をしているので失敗は今でも多々ありますがナンパ同様に失敗から学び、目標は手の届く範囲で小さく設定をして小さな1勝を常に積み重ねて自信をつけた仕事をしています。大物(大金)は誰もが釣り上げたいと思うでしょうけども経験を積み重ねれば他人を意識したり競争じゃない限りは、小物でも自分自身の軸(目標・目的)に該当すれば成功ではないのでしょうか?
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